bravesoftの
プロフェッショナル社員

社員紹介 Vol.12 陶 鈞華

陶の履歴書

いつも笑顔を絶やさず、物腰も柔らかく仲間思いの陶は多くのbravesoft社員に慕われている

1991年8月

中国・上海市徐匯区にて誕生

2009年4月

東華大学入学

2013年4月

ISID(電通国際情報サービス)上海オフィスに入社

2015年3月

ISID 日本オフィスに異動に伴い初来日

2017年4月

bravesoft入社、受託開発部門のブリッジエンジニアとして配属

2018年7月

受託開発部門 国内開発チームリーダーに就任

2019年1月

受託開発部門 中国チームの副部長に就任

2019年7月

受託開発部門 中国チームの部長就任社

2020年12月

社内表彰において2020年下期 ベストリーダー賞受賞

2021年7月

組織改変に伴い、Infinity事業部長就任

陶の流儀

はじめに

「最強のものづくり集団となり技術で世界をワクワクさせる」
bravesoftが掲げるこのビジョンに共感してbravesoftの門を叩く社員は多いが、それは日本人だけではなく、外国人も然りである。

今回、プロフェッショナル社員として紹介する陶は、中国は上海で生まれ、24歳で日本に来日した。

陶と初めて会話すると、ほとんどの人が「本当に中国人なんですか?」と驚く。
その日本語学力もさる事ながら、無理に我を通すのではなく融和を常に意識し、自分の成功よりも他者や後輩の成功を優先して願うマインド、周りが嫌がる事でも積極的に引き受ける姿勢、そして、尽きない技術探究心などは、一般的な日本人像同様、むしろ日本人の中でも優秀な人物とも映る。

過去に陶を紹介してくれた転職エージェントはこう言った。
「正直、陶さんみたいな中国人社員は滅多にいない。かなりbravesoftさんはラッキーでしたよ笑」
そのエージェントの評価通り、既に陶は無くてはならない存在として活躍を続けている。

2017年よりブリッジエンジニアやプログラマーとして長年現場で働き、そのコミュニケーション力やバランス力を評価されて上流工程に参画し、成果・結果を残した上で、リーダー・マネージャーと着実にステップアップしている。
しかしながら陶は管理業務だけを行うマネージャータイプではなく、「現場」を愛し、常にプレイング・マネージャーで居続けたいと思い続けている。

そんな陶が中国で過ごした少年時代、日本文化との関わり、bravesoftでの環境の変化、そして「現場主義」である部分など、紐解いていきたい。

日本のカルチャーに順応することにも長けており、最近は自動車免許の取得も行なった

囲碁や読書など幼少期の体験が今に活きている

1991年8月、中国・上海市徐匯区にいて陶は生を受けた。
上海は英国のシンクタンクZ/Yenグループが2021年3月に発表した世界金融センターランキングによると、ニューヨーク、ロンドンに次ぐ世界3位の大都市であり、世界中の経済・文化の中心と言っても過言ではないであろう。
その上海の中で陶が生まれた徐匯区(じょかいく)は日本で言う”渋谷”のようなエリアであり、発展目覚しい地域で陶は育った。

家族は建築・建造物の設計を行う父親と、広告代理店で働く母親との3人家族。両親は仕事で忙しかったが、愛情の下、陶はすくすくと育った。

幼稚園の頃に陶が熱中していたのは囲碁。父親から書道やピアノも勧められたが、インスピレーションで囲碁を選択した。
結果として中学校時代まで囲碁に熱中し、いわゆる「段持ち」になるまで続ける事ができたのは、囲碁が陶の性に合っていた事が大きい。
対局で勝った時も負けた時も詰碁を行い、自分の打った手を反芻する事でどんどん上達し、上達に伴い論理的思考力も身に着ける事ができたと陶は述懐する。

また、父親が設計の仕事を行っている関係で、陶が物心ついた時には家にPCがあった。幼少期の陶にとって囲碁に加えてPCも1つの「オモチャ」であったことも後の進路に大きく影響した。

そうして幼稚園を卒業し、地区の小学校に入学。
持ち前のコミュニケーション能力が開花したのはこの頃であり、いつも友達とワイワイ喋って落ち着かない子供だった陶は先生にもよく怒られていた。
中学校に入学してからはサッカー部に所属し、毎日日が暮れるまでボールを追いかけた。この頃の経験でチームワークを学んだ。

友達と遊んだり、身体を動かしたりする事が好きだった陶であったが、勉強もできた。中学校時代はクラスで常に5番以内、学年でも30番以内の成績だった。
塾に通っていたわけではなかったが、本をたくさん読んでいた事で色々な知識を身に着ける事ができた。父親が読書が好きで、家の書斎にはいつもたくさんの本で溢れていた。
そこで「西洋哲学」や「物理学」など、難解であったが魅力を感じて何度もそれらを読み返し、その度に新しい発見があり、その発見こそが陶の学力や知識の向上に繋がった。

高校に入学した陶は、この頃に初めて「日本文化」に触れる事となる。
それまでにもアニメなどを通じて日本のカルチャーを体験していたが、当時通っていた高校には「国際部」という部活があり、そこには日本人もいた。

その頃陶はもちろん日本語は話せなかったので、その日本人部員との会話は英語でこそあったが、日本の文化やカルチャーなどを知る事で、少しずつ日本に興味が生まれてきたが、この頃は将来日本で働く事などは全く考えていなかった。

そして、高校3年生の頃には受験勉強を始める。
1年間頑張った成果もあり、名門である東華大学に合格する事ができた。
専攻は「情報セキュリティ」で、この頃には”プログラミングをしたい”と心に決めていた。

「大学に入学する際にはPCを通じた仕事をしたいと思い、両親と相談して情報セキュリティの分野を専攻する事としました。当時はハッカーブームもありましたので」

そうして大学に入学して、Javaのプログラミングを学びつつ、情報セキュリティは理論学習を行った。更にはこの頃には並行して日本語の勉強も開始した。
そして勉学だけではなくキャンバスライフも同様に楽しんだ。バンド活動でもボーカルとして楽しみ、同人誌を作る同人サークルでは部長として活躍し、ここで今の奥さんともなる女性と知り合った。
そうして充実した大学生活も終焉を迎え、進路について改めて考える事となる。

元々は大学院に進学したい思いもあったが、逡巡の末に就職することを決断した。
その上で、陶が就職する上で大切にしていたのは「プログラミングに関わることができる仕事」「日本に関わることができる仕事」であった。その頃には日本で仕事をしたいという思いを抱いていたが、どちらかというと漠然とした「行ってみたい」という理由であり、日本のアニメやドラマを見ていて、日本のカルチャーに興味を持っていたし、日本のカルチャーを直接見て体感したいと言うのがその理由である。

果てしない憧れを持って日本へ初来日

そうして陶が就職先に選定したのは、日本企業であるISID(電通国際情報サービス)の上海オフィス。上記の条件を満たしていながら、金融系のシステム開発など「堅い」内容のオフショア開発を行っている会社であり、ここで学ぶことが自分のスキルアップ、更には日本進出への手がかりに繋がると思い選定した。

入社1年目はサーバーサイドエンジニアとして、プログラミングだけではなく詳細設計書や仕様書の作成など、開発に関わる幅広い業務に対応した。初めての仕事としてのプログラミングは楽しい事ばかりではなく、色々と辛い経験もあったが、それでも仕事として取り組むプログラミングは新鮮であり、とても充実した1年であった。

そして陶が社会人生活2年目を迎えた際、急遽日本に転勤するチャンスが訪れた。
本社が日本勤務をする中国人スタッフを求めており、陶も志願して面接を通過し、日本行きのチケットを勝ち取った。
そうして日本に在住する事となったが、日本語の勉強を今一度行う必要があった。

大学時代に勉強こそしていたが、実践的と言うよりかは広く浅くの取り組みだったため、聞き取ることはできるが話すこと、書くことはできなかったので、日本に行く3ヶ月前から必死に勉強を始めた。
日中は仕事をして、仕事が終わった夜に日本語の勉強。土日も勉強した。

そうして2015年3月、陶は日本に来日し、品川のオフィスにて働く事となった。
食事で言うと納豆はなかなか慣れなかったが、下処理をしなくても食べられる食材が売っている日本での生活はそこまで苦労はしなかった。

仕事に関しては苦労した。
毎日スーツでの出勤であり、bravesoftであれば上手く日本語で話せなくても日本人社員が意図を察知してフォローしてくれるが、ISIDは完璧な日本語を求めた。
結果としてその時の規律や厳格さが、結果として陶の語学力向上に繋げる事ができたが、当時はその環境の変化、要求の高さに苦労した。

しかしながら時が過ぎ、徐々に日本に適応する事ができた。
そうして2年が経過し、陶の中で心境の変化が芽生えた。

元々ISIDからの来日は「紐つき」の契約社員としての出社であり、いつかは中国に戻る必要があった。
そのまま任期が満了して、ISIDの日本本社に正社員として勤務する選択もあったが、その頃の陶は新たな感情が芽生えていた。

「日本に残ることは決めていましたが、その上で”新しい環境で挑戦してみたい”と思ったんです。ですので任期を満了し、日本の別の会社で就職してみようと思いましたね」

そうして陶は任期満了に併せて、転職活動を開始した。

陶のスキルや日本語能力、経歴を欲しがる企業は多く、実際に多くの企業から内定も貰えた。しかしながら陶はそれらの内定を貰えた企業の就職に戸惑った。

「紹介される企業は大手企業の子会社が多かったんですが、それであればISIDを退職する必要も無かったのでしっくり来なかったんです。もう少しアグレッシブに挑戦ができる会社はないかを、再度転職エージェントの方に探してもらいましたね」

そうして中小企業・ベンチャー企業を中心に、陶は再度転職活動を行った。
結果、陶の中で2社、「働いてみたい」と思える会社に出会う事ができた。

1社は入社前の段階からスクラムリーダーを約束してくれた会社。入社前から陶のキャリアを買ってくれて、ステップアップと読んで相応しい条件をその会社は提示してくれた。

そしてもう1社は、具体的な立場を約束してくれたわけでは無かった。もっと言うと、これまで陶が経験していたプログラミングに関しても「今、上手くアサインできる案件がないから、まずはブリッジエンジニアを経験して、ゆくゆくはアプリエンジニアにも挑戦して欲しい」と言う未完成なビジョンでありながら、陶はどんどんこの会社に惹かれていった。
後の社長面接では仕事のことはほとんど聞かれず、「将来のこと」「人生のこと」を多く聞かれて、その会社は作業要員としてではなく、人間としての自分と向き合ってくれることに魅力を感じ、その会社ーbravesoftに入社することを決意した。

「正直不安は少しありましたが、色々と挑戦できる会社こそ、自分が成長できる環境と感じてbravesoftで働くことを決意しましたね」

今までやった事のない事を経験できる楽しさ

そうして2017年4月1日、陶はbravesoftに入社。
面接で話があったように、まずはブリッジエンジニアとしての挑戦が始まったが、運よく最初の案件のアサインメンバーに恵まれた。今はクローズしてしまったが、当時の社内最高峰クラスのメンバーが揃ったプロジェクトのブリッジエンジニアを経験し、基準を知る事ができた。

そうして並行し、他のプロジェクトにおいてもブリッジエンジニアとしての業務をスタートさせたが、これまで全て自分でプログラミングをしていたのと比較し、開発を自分以外のプログラマーに委ねるブリッジエンジニアの作業は若干苦労した。

そうして早々に、コミュニケーション力の高さを評価されて、クライアントの元に営業で訪れる機会も増えていった。営業担当と同行し、クライアントから受けた要求に対して技術的な側面での開発可否を返答し、その上で持ち帰って見積もり作成や開発拠点とのリソースの調整など、今まで行っていない業務を経験することは容易では無かった。

ただ、辛いとは思わなかった。

「今までやったことがない事をできているのはすごく楽しかったですね。全部が新しい仕事で、全部が挑戦できたので」

ブリッジエンジニアや、いわゆるシステムエンジニアの立ち回りだけではなく、自分でも開発を行う事にもチャレンジした。
当時、需要が徐々に増え始めて、陶自身も挑戦してみたいと思っていたクロスプラットフォームのReact Nativeの開発依頼があった際には、エンジニアとして自分が参画したいと志願し、ブリッジエンジニアとしてもアプリエンジニアとしても業務を行う事となった。その結果が評価され、2017年末の社内表彰において新人賞を受賞することもできた。

以上のように順風満帆に見える陶であるが、全てが上手くいったわけではなかった。

なんでも「やりたい」と積極的に手を挙げて、多くのプロジェクトを同時並行していた陶であったが、スケジューリングの調整が上手くいかず、他の作業の兼ね合いもあり毎日遅くまで作業をせざるを得ない事もあった。

また、クライアントの逆鱗に触れ、当時のプロジェクトマネージャーである上司に間に入ってもらい交渉するなど苦い思いも経験したが、上司はけして怒ったりせずに優しく、厳しく指摘をしてくれた。
そうして多くのプロジェクト経験を得て、少しずつ色々な世界が広がってきた。

そうしてプレイヤーとして1年余り遮二無二働いた陶であるが、そんな矢先の2018年7月より「チームリーダーをやってみないか?」と言う打診を受けて快諾。新たな挑戦を決意した。

「これまではプレイヤーとして働くことしか考えてませんでしたが、この1年で経験した事で色々と視野が広がり、マネジメントに関しても挑戦してみたいという思いが少しずつ芽生えるようになりましたね」

加えて、入社以降、陶の上司として常に陶をサポートしてくれた王の存在も大きかった。
その頃は中国の開発チームは王が束ねていたが、中国チームをもっと盛り上げていく為に、自分はプレイヤーだけではなく、マネージャーとして立ち回る必要もあると考え、キャリアアップを図っていった。
そしてチームリーダーから副部長、副部長から事業部長と着実にステップアップを続けている。

今は事業部長としてチームメンバーの成長支援をメインに行なっている

常に技術の最前線で

副部長就任のタイミングで、当時の上長からこのような事を言われたのを覚えている。

「“陶くんはもう(プログラミングを)書かなくていいよ”と言われたんです。それは現場から離れて管理をして欲しいと言う意味だったんですけど、自分は完全に現場から離れたくは無かったので、そこは”そっちも続けさせてください”と懇願しました」

立ち位置が変わっても、陶は自分は「エンジニア」であると自認している。
世の中の技術トレンドが変わっていくのを知ること、体験することは非常に楽しいし、自分としても完全に現場から離れずに、常に最前線で技術を知っておきたい。

そして副部長から部長職を任せられ、陶の中でまた考え方が少しずつ変わっていった。

「これまでは1人でなんとかする事しか考えてなかったんです。最悪自分が全部やればなんとかなるだろう…と言う考え方ですね。ただ、部長になったタイミングで、チームでの達成を意識するようになりましたね。”任せる”ことが徐々にできるようになったと思ってます」

元々はエンジニアとしての高見を目指しての挑戦であったが、結果としてプレイヤーの枠を超えてマネージャーとして陶は活躍している、そうして視座は更に高くなり、個人としての目標以上に、今はチームとして、会社としての成功を目標に見据えている。

今考える、陶の思いをヒアリングしてみた。

「今、受託開発部門は”脱受託”を掲げて、その為には何を武器にするかを必死で考えています。これまでは中国チームとして中国の開発拠点のみの開発に留まっておりましたが、今は中国以外にもベトナム、国内と色々なリソースを動かせるようになりましたし、それぞれ持っている能力をグロースさせる力も持っていると思っているので、それを磨いていきたいと思います」

そしてゆくゆくは、このようなビジョンを陶は掲げている。
そしてbravesoftの一員として、エンジニアとして、マネージャーとして、1人の人間として陶が抱えるビジョンを紹介し、本記事の結びとさせて頂く。

「5年後には、国を跨ぐサービスの責任者になっていたいと思っています。その上で新しいプロダクトも成熟させて、独立採算を取れるように会社を強めていきたいですね」

「技術が好き」という根底の思いが、陶の今なおの成長を支えている。

おすすめの一冊

西洋哲学の歴史

エンジニアとして重要なスキルはモデリング能力で、この世界をモデリングする技法は哲学の範疇になるため、特にエンジニアに勧める渾身の一冊です。

この本は、哲学者、論理学者、数学者であるラッセルが語っていた西洋哲学でして、少し主観が入ってしまい、特にショーペンハウアーに対するところはなかなか賛同しない部分もありますが、全体的に見ると10年おきで、何回でも読む価値がある本と思っています。

哲学の本を読むというか、著者との会話が大事になるので、そのうちに自分の思考がどんどん成熟していくし、考える能力も高めるに違いないです。

※前回は大学卒業くらいで読んでた、確かに普通のより6倍くらいする値段でした。買っちゃって感じで読んでた。


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