23歳でbravesoftを起業したその日から、ひたすら営業と開発に走り回ってきた。
「最強のものづくり集団となり、挑戦が溢れる新時代を創る」
ただそれだけのために上を目指し続け、たぶん毎月300時間以上の稼働を下回ったことはない。
気づけばもう15年が経過して、会社もそれなりの規模になってきた。
営業も開発も信頼できる仲間が集まり、社長らしい仕事をやるフェーズ。
それは、広報。
bravesoftを広く知ってもらい、参加したい!取引したい!という同士を集める活動だ。
もっと言えば、これは会社を作った目的でもあるけど、エンジニアの声を社会に届けたい。
日本におけるエンジニアの立ち位置は異常だ。
エンジニアはどこかで、一般社会に距離を置かれている。
エンジニアがたくさんいる会社。受託・SI・SESの会社も、どこかで距離を置かれている。あるいは下に見られている。地味な存在で、言ったことをやってくれるだけの存在。受注までは何でも言うことを聞き、受注後は何ら融通が利かない(まあこれは他の業界にもあるか笑)、あまり友達になれない人たち。。
エンジニアはスーツを着てブツブツ言いながらスケジュールの帳尻を合わせるキツイ仕事。
日本ではエンジニアはそんな存在だ。
海外では違う。AppleもAmazonもfacebookもGoogleも創業者はみんなエンジニアだった。世界中のエンジニア達が社会を先頭で動かしているのだ。
もう皆忘れてしまったようだけど、日本はかつて技術立国だった。戦後の焼け野原から、たった40年で世界一になるまでに引き上げたのはソニーホンダを始めとする技術者の情熱だった。
エンジニアを最新ガジェットとRedBullを与えられて喜んでるだけの「ただのいいヤツ」で終わせてはいけない。社会のあり方そのものをアップデートする主体的役割を果たしていくべきだ。そして日本を挑戦できる国に再び変えていくべきだ。
愚痴を言ってても仕方ない。自分がやるしかない。
1.卑屈になっているエンジニアに誇りを持たせたい。
2.少しでもエンジニアの声を集めて社会に届けたい。
そう、僕の仕事はここまで来たらもはや「すべてのエンジニアの広報」なのだ笑。
まずは2020年2月からラジオ日本様で目指せ!ハッカーRADIOというラジオ番組を始動。有名なエンジニアにインタビューをしながらエンジニアの声を業界内外に届けることを始めた。かみまくりのぎこちない進行でお恥ずかしいが、とにかく始めた。どこまで行けるか全く分からないが、とにかく動き出した。
そして最近、次の一手として最強エンジニア社長というキャッチコピーでTwitterを始めた笑。
アカウントだけなら取得したのは結構前の2008年。あのころのTwitterは荒れていた。
実はかつて、Twitterで炎上騒動を起こしたことがある。
虚構新聞というアプリでただAppleの仕様通りに個人IDを使っていたことが、プライバシーを不正に取得していると言われてしまったのだ。
(ググってみたら当時に書いた謝罪文を発見。30歳になりたての自分、結構頑張ってる笑)
そんなこともありすっかりTwitter離れしていたが、この際、Twitterも始めてみることにした。
そして最近は空前のYoutubeブームである。芸人引退をかけてジャージ姿でYoutuberになったカジサックさんには多くの人が勇気づけられた。
ということで、さらにさらにYoutuberも始めることにした。
YoutubeもTwitterもまだまだ素人レベルなので、元ブレイバー(bravesoftでは元社員をこう呼ぶ)でテンガマンという全世界が呆れる訳のわからない動画を作った孫さんにも手伝ってもらうことにした。(それでも200万再生!)
<とある土曜日の朝方>
孫さんから電話「どんなチャンネルにするか打ち合わせしましょう!」
菅澤「オッケーじゃあとりあえずドライブ行こうか」
孫さん「行きましょう!」
運転しながら孫さん「どこ行きます?」
菅澤「うーん伊豆とか?」
孫さん「そっち方面渋滞みたいす。川越あたりに落ち着きません?」
菅澤「え〜そしたら富士山で手を打たない?」
孫さん「・・まあとりあえず行ってみますか。そういえば最近ドローン買ったんですよ」
菅澤「いいね!そしたら動画取ろうよ」
・・結局、1泊2日でドライブしながらの打ち合わせ10時間&富士山絶景で撮影10時間というバタバタしつつも楽しいYoutube合宿となったのだった。
帰りの孫さん「いい絵が取れましたね〜。ところでチャンネル名どうします?」
菅澤「うーん、最強を目指すし、最近つよつよって言葉楽しくない?」
孫さん「じゃあそれにしましょう!」
チャンネル名は「つよつよちゃんねる」に決定。アイコンはもちろん富士山だ。
こういう感じで、生涯をかけた楽しい挑戦のドライブを、15年間続けているのです。