bravesoftの
プロフェッショナル社員

社員紹介 Vol.11 古岡定訓

古岡定訓 ディレクションは俺に任せろ!メンバーに愛される“優しさの塊”

古岡の履歴書

社内で笑い声が聞こえる際、いつもその中心には古岡がいる事が多い

1980年3月

神奈川県大和市にて誕生

1987年4月

神奈川県大和市の小学校入学

1991年某月

東京都荒川区へ引っ越す

1993年4月

地元中学校に入学

1996年4月

地元高校に入学

1999年4月

埼玉県の大学へ入学

2002年4月

家業を継いで実家の飲食店にて就業開始

2007年某月

携帯電話の着うたコンテンツ配信企業に入社

2010年某月

友人が経営するアパレル企業に入社

2012年6月

WEBサイト運営企業に入社

2015年4月

別WEBサイト運営企業に転職

2017年11月

bravesoft入社、受託開発部門にディレクターとして配属

2018年1月

受託開発部門 ベトナムチームのサブリーダーに就任

2018年5月

ベトナムチームのリーダー就任

2018年7月

受託開発部門 オフショア開発を束ねる事業部の部長就任

2019年1月

組織改変に伴い、ベトナムオフショアをメインとする事業部長就任

2020年1月

国内開発部門の事業部長就任

2021年1月

日本メンバーとベトナムメンバーを中心とするNext Innovation事業部部長就任

古岡の流儀

はじめに

この「プロフェッショナル社員紹介」において、過去に2名のディレクターを紹介させて頂いた。

共にスタートは未経験だったが、共に経験を積んで視野を広め、管理能力を高め、村山はeventosのカスタマーサクセス部門のリーダーとしてチームを牽引し、助川は受託開発部門においてチーフディレクターとして自身のプロジェクトのみならず後輩メンバーのサポートなども務め、両者とも今や、各セクションは勿論、bravesoftにとっても必要不可欠な存在となっている。

このことより、bravesoftのみならず、業界全体においても優秀なディレクターの存在が企業の業績に直結すると言っても過言では無いだろう。勢いのある会社には優秀なディレクターが多数存在し、ディレクターが育つ環境が整備されている。

ここで「ディレクター」「ディレクション」とは何かをまずは定義する。

ディレクター
ディレクターは、主にソフトウェアやWebサイトの制作において、制作現場を取りまとめる職種です。中小規模のプロジェクト(特にWeb系の制作が多い)において、プロダクトのコンセプト設計、企画、人員配置、制作進行などを主な業務とすることが多いでしょう。管理や主導という意味ではプロジェクトマネージャーと同じ役割を負いますが、より制作を担当する実働部隊に近い立場で制作を取りまとめるという点が特徴です。

レバレックキャリア「プロジェクトマネージャーとディレクターの違いとは?」より抜粋
https://career.levtech.jp/guide/knowhow/article/436/

ディレクション
ビジネスの場で「ディレクション」と使われるとそれは、指示や指揮・進行管理という意味合いで使われます。
(中略)
「A社の案件に関しては君がディレクションして」「次のプロジェクトは君にディレクションを任せようと思う」というような場合、プロジェクトや制作の進行管理、全体的にすべて任せるという意味になります。
「管理する」というだけだと、「マネジメント」という言葉もありますが、全体を見る・取り纏めるだけにとどまらず、実際に手を動かし制作作業にも関わるのが「マネジメント」ではなく「ディレクション」を使う時の意味であり、大きな特徴です。

TransBiz「ディレクション」とはいったい?英語とのカタカナ語の違いやその仕事内容を解説より抜粋
https://biz.trans-suite.jp/9312


上記の定義から当てはめると、bravesoftにおけるディレクターとは「アプリもしくはWEBのプロジェクトに関して、対外的にはクライアント、対内的には営業・デザイナー・プログラマーの制作管理を行い、制作する納品物をクライアントに提供し、価値を提供する存在」であり、ディレクションとは「その工程においての予算管理・工数管理・スケジュール管理・品質管理などを包括的に現場で手を動かして行う」作業と定義する事ができる。

前置きが長くなってしまったが、今回プロフェッショナル社員として紹介する古岡は長年のディレクション経験を経て、bravesoftにもディレクターとして入社し、多くのプロジェクトの成功に寄与し、現在はマネージャーとしてチームを束ねる存在でありつつも、今尚プレイングマネージャーとしても最前線でディレクションを行い、今ではbravesoftの屋台骨を支えるbravesoftの受託開発部門において、結果を残して責任を持つ、まさに「会社を支える存在」と言っても過言でない存在である。

しかしながら、そんな古岡はディレクションの仕事とは無縁の職業も多く経験しており、そんな古岡がどのように考え、動き、ここまで会社にとって存在不可欠なディレクターであり、マネージャーとなったのかを紐解いていきたい。

これまでの人生経験を経てbravesoftのディレクターとして活躍できている

就職氷河期もあったので特に迷いもなく、家業を継ぐことにしましたね

1980年3月、神奈川県大和市で古岡は生を受けた。
家族は土建業を営む父親と、専業主婦の母親、兄、妹2人の6人家族。いつも笑いが絶えない、そんな家族の下、古岡はすくすくと育った。

幼稚園の頃から友達と遊んでばかりいて、いつも友人達の笑顔の中心には古岡がいた。
そうして地元の小学校に進学したが、休み時間や放課後は友達といつも遊んでいる、そんなどこにでもいるような元気が有り余った少年であった。

そうして小学校高学年の頃、両親が自営で商売を始める事となり、神奈川県から東京都荒川区に引っ越す事となったが、新天地でも持ち前の明るさ、人懐っこさですぐに友達もできて、毎日遊んで楽しく過ごしていた。

中学校〜高校に進学してもスタイルは変わらず、いつも友達と遊んでばかりいた。
そして、この頃は格闘技に熱中し、毎晩深夜遅くまでプロレス中継を見て、翌日友達と語り合ったりしていた。勉強はあまり得意ではなかったが、そんな会話をする仲間がいる学校に行くのは大好きだった。

そうして高校を卒業し、埼玉県の大学へ進学。
大学時代もこれまでの学生生活と変わらず、友達と遊ぶことに全力投球で、勉強は二の次・三の次。そんなどこにでもいるような大学生であり、毎日を平々凡々に過ごしていたが、そんな楽しかった大学生活も終盤を迎え、就職を目前にした古岡であったが、この頃の就職感に対してこう振り返る。

「就活は少しやっていたんですけど、この時期には家業の飲食店を継ぐことを決めていたんです。就職氷河期というのもあったので、”もうそこでいいかな”と思ってましたね」

大学在学中から家業の手伝いをしてはいたが、卒業を機に本格的に事業を継ぐ事を決意した。
その頃、古岡の家業の飲食店は景気が良く、父親が経営する1号店に加えて、2号店を展開する事となり、古岡は兄と一緒に2号店を任される事となった。
社会人としてのスタートが一国一城の主であり、経営に携わる事は結果として古岡の今後の社会人生活において貴重な財産となったが、それはまだ少し先の話。

飲食店を始めた古岡は、定休日以外は毎日14時から仕込みを始めて、17時から22時までの営業を終えて、店の片付けや明日の準備を行い、夜明け前に就寝する昼夜逆転の生活を送っていた。

飲食店は景気は元より、天候や情勢などによっても客足が左右される。昨今の新型コロナウイルスの影響で店を畳む店舗が続出しているように、お客様あっての商売は一寸先に何が起こるかが分からず、それだけに難しい。
その中で古岡が潜在的に意識していた事はお客様に愛される店舗になること。メインの来店目的となる「味」はさる事ながら、店全体の衛生面や雰囲気、従業員の気持ちの良い対応など一つ一つがリピーターの獲得に繋がると思い、接客においてのコミュニケーションも強く意識して店舗運営を行なっていた。

そのような形で大学を卒業して5年、飲食店での就労を続けていたが、日本全体を慢性的に包む不況の煽りを受け、2007年に2号店は畳む事となり、古岡は第二の社会人生活を歩む事となった。古岡が27歳の春の事だった。

「これまで飲食店でしか働いた事は無かったので、少し不安はありましたけど、まぁ、なんとかなるだろうと思ってましたね(笑)」

様々な職種経験が、ディレクターの基礎に

そうして社会に放り出された古岡は就職活動を開始する。
結果として、この時の就職活動が最初で最後の就職活動となったが、その際にはこのような思いで次の進路を考えていた。

「なんとなくIT業界がいいかなと思ってました。その頃はIT業界も景気が良かったので」

そうして古岡が就職先として選んだのは、当時流行っていた携帯電話の”着うた”のコンテンツを扱う会社であり、その当時に飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長していた企業であった。そんな背景もあり、とにかく人手が足りていなかったこの会社は、未経験でありながらも雰囲気が柔らかく、面接での受け答えでコミュニケーション力の高さを評価して古岡を採用した。望んでいたIT業界とは少し違ったが、それでも遠からず近からずと古岡も判断した。

そうして自営から離れ、始めてオフィスでの勤務を行う事となった古岡は最初は会社の規則やルールに戸惑いこそしたが、持ち前の順応力・適応力を活かして業務を理解するのにそう時間は掛からなかった。
その中で古岡が取り組んだ業務は「着うた」コンテンツの精査や企画などのディレクションであったが、基本的には与えられた仕事をこなす内容がほとんどであった。
そして、その会社は人に恵まれ、業務が終わった後は高頻度で同僚と飲みに行ったり、遊びに行ったりする事は楽しかった。

しかしながら、古岡が入社して2年余が経った時に、日本にiPhoneを初めとするスマートフォン文化が浸透した。これまでの携帯電話、所謂ガラケーとは一線を画すスマートフォンにおいては”着うた”の概念は存在せず、目に見えて業務が減り、暇になる事が増えてきた。

「bravesoftはスマホの登場を契機に勢いに乗り急成長する事ができましたが、当時の会社は逆でしたので、”この先どうなるんだろう”と不安でした。そんなタイミングで転職を考えましたね」

勢いを増すこのスマートフォン文化が衰退するとも思えず、悶々としていた古岡は転職を考えるようになり、ちょうどそのタイミングで地元の友人が経営するアパレル会社から誘われ、転職を決意する。

その会社は少数精鋭で行なっている会社で、生産から販売までの一通りの作業を経験した。業務範囲や任せられる裁量は多く、「ものづくり」を学べる場として楽しくはあったが業務はとてもハードであり、そこで2年間遮二無二働いたが、果たして自分がやるべき仕事はこの会社、この業務であるのかを自問自答していた矢先、着うた時代の同僚から誘われて、インターネットのポータルサイトのWEBサイトを運営する会社を紹介される。

これまでモバイルの経験はあったがWEBサイトの運営経験は一切無かった。しかし持ち前の楽天的な考えで「まぁ、やってみるか」と言う思いでその会社の扉を叩いた。
結果的に、この時の決断が今後の古岡の人生を大きく左右する転職となった。

飲食・着うた・アパレルと異業種ながら包括してディレクションの基礎を経験した

ディレクターとして経験を積み、より高みを目指して

そうしてWEBサイトの運営と言う未分野の業務に挑戦した古岡であったが、その会社で働く同僚は同世代・同年代の社員が多く、元々リファラル採用で入社した経緯もあったが、持ち前のコミュニケーション力の高さもあり、直ぐに打ち解ける事ができた。

業務に関しても「誠心誠意、当たり前の事を当たり前にやる」と言うビジネスの基本がこれまでの飲食・着うた・アパレルの経験で培われていた古岡は順当に仕事を覚え、数ヶ月後にはメンターとして社員教育を行い、入社して1年後には部内で昇進し、役職にも就任した。
そうして入社以来担当していたポータルサイトの責任者となり、サイト運営業務と、サイトの改善に対する企画立案・リサーチ・仕様の決定・検証などの包括的なWEBディレクション、加えてチームメンバーのマネジメントを同時並行で行なっていた。

「その時に任せられたポータルサイトは、とにかくリリースしてからグングン右肩上がりで伸びていっているサービスで、広告主も閲覧ユーザー数もどんどん増えていったので、”不具合”が無いように常に目を走らせていましたね」

そうして約3年間、このWEBサイト運営会社で経験を積み、ある程度の成果も出したところで達成感を覚え、もう少し広い世界を見てみようと思い、WEBディレクター向けのセミナーに軽い気持ちで参加して、そこで縁があった会社よりオファーを頂き、逡巡の上で転職を決断した。

「元々いたWEBサイト運営会社ではディレクションの基礎を学ぶ事もできて、任せられたサイトも大きく育てる事ができたんですけど、WEBディレクターとして、もっと広い世界で活躍したいと思ったんです。ですので勢いで転職しちゃいましたね(笑)」

そうして2015年の4月より、別のWEBサイト運営会社に転職した。これまではあまり深く考えず転職を行なってきたが、今回は初めてキャリアアップを目指した転職であり、もちろん期待されるのは即戦力であることであったが、古岡は任せられた業務を着実にこなし、任せられる業務もどんどん増えていった。

前職時代とは比べ物にならない位の規模のPV数、プロジェクト規模の案件を任せられたが、その中でもチームリーダーとしての役割を着実にこなし、多くのサービスを世に提供していった。
そうして、この会社で約3年間働いて、bravesoftへの転職を決意する。

「転職理由は、元々いたWEBサイト運営会社の同僚がbravesoftに転職し、彼らから誘われたのが一番の理由なのですが、前々職と前職でWEBサイトのディレクションを行い、WEBに関してはある程度やり尽くしたかなと思っていて、やるのであればこれからはアプリかな、と思ったんです。大体3年位働いて転職するジョブホッパーと思われちゃってますが(笑)」

かつては着うたの会社で働いていた時に古岡はスマホの脅威を感じて転職したが、そこから数年が経ち、スマホは我々の中で掛け替えの無いツールとなっており、巡り巡って古岡もスマホを主とした「アプリ」の仕事に魅せられて、2017年11月にbravesoftにジョインした。

そして入社2日目にして、古岡は「試練」を経験する事となる。

WEBサイトのディレクターとして順当にステップアップし、高みを目指してbravesoftへ

「こんなに短期間でベトナムメンバーの心を開いた人間はいない」と評価

そうして古岡は受託開発部門のディレクターとしてbravesoftに入社した。
入社当初はこれまでのWEB業界の経験を買い、WEBサイトの案件を任せようと引き継ぎを用意していたが、その入社初日の夕方にトラブルが発生した。

当時のbravesoftにとって、比較的大規模なSNSアプリのプロジェクトが既に開発フェーズまで進行していたが、担当していたディレクターが諸事情により離脱してしまう事となり、早急に後任のディレクターをアサインする事が急務となってしまった。更には要件定義の握りが甘く、開発フェーズにおいて仕様漏れが散見している状況であり、クライアントとの関係性も良くない状況であった。

そこで古岡をアサイン予定だったWEBサイト案件は引き続き前任の担当が行い、SNSアプリに古岡をディレクターとしてアサインする運びとなったが、前任のディレクターとの引き継ぎもできていない状況で、かなりビハインドの状態でいきなり最前線に立つことになった古岡であったが、ここで古岡がまず重視したのは対話であり、コミュニケーションであった。

このSNSサイトはベトナムの開発子会社bravesoft Vietnamで開発進行中のプロジェクトであり、ブリッジエンジニアとしてシン(#09 プロフェッショナル社員参照)がアサインされていたが、まず古岡はシンから、プロジェクトに関して納得・理解できるまで、とにかく何度も話を聞いた。

受託開発部門にて日本人ディレクターがbravesoftに入社して第一の壁となるのは「中国人」「ベトナム人」社員とのコミュニケーションである。
今では語学堪能な外国籍スタッフも増えたが当時はそうでもなく、やはり言葉の壁が図らずして影響してしまい、意思疎通が困難なケースも往々にして発生してしまいがちであったが、古岡にはその壁を簡単に乗り越え、ベトナムメンバーの席の近くで何度も会話をし、時にはユーモアを交えて笑いながらコミュニケーションを築き、まずベトナムメンバーの信用・信頼を勝ち取った。そうして状況を把握し、問題点を整理し、徐々にプロジェクトが好転し、右往左往しながらも結果として無事サービスをリリースする事に成功した。

その姿を傍目で見ていた当時の役員は「これほど短期間でベトナムメンバーの心を開いた社員はこれまでに見た事ない」と古岡を評価した。

「そのように評価されるのは嬉しいですが…とにかく、聞くしかない状況でしたからね(笑)今となればですけど、最初にそういう炎上案件を経験しておいたのは結果として良かったかなとは思ってますけどね」

そうしてベトナムメンバーから全幅の信頼を勝ち取った古岡はbravesoftでのスタートダッシュに成功したが、その成功は入社して2ヶ月後の2017年末に思いもよらない展開へと昇華した。
2018年からの新体制で、ベトナムチームの「サブリーダー」を任せられたのであった。

「それまで、ベトナムチームを束ねていた方が2018年の4月でbravesoftを卒業する事になったんです。会社としてはベトナム人メンバーの中からチーム責任者を選抜したいビジョンはあったんですが、まだ人材面で時期尚早との事で自分に白羽の矢が立ったんです。まあ、運が良かったですね(笑)」

2017年まで受託開発部門の責任者を務めていた清田と、2018年から受託開発部門の責任者を任せられた池田であったが、色々検討した結果「古岡しかいない」と言う決断に至り、古岡は入社して僅か2ヶ月でマネジメントを務める事となった。
まだまだアプリのディレクションを全然経験していない事は不安でもあったが、こうして期待されて任せられる事にもやりがいを感じ、結果として入社早々にディレクションとマネジメントを両立させる事となったが、こうした刺激があり、挑戦できる環境こそ自身が最も熱くなれて、やり甲斐のある環境であると古岡は感じて、そこから一心不乱に奮闘した。

当時はメンバー不足もあり、基本的に参画されたプロジェクトにおいてはプロジェクトマネジメントとディレクションを並行して行なったが、常に意識したのは「お客様の要望にできる限り応えること」であり、様々な角度から要望に応えられる方法をとにかく考えた。
時としてクレームや、無理難題にも向き合う局面もあったが、粘り強く対話をし、できないものはできないと説明・交渉を誠心誠意行なった。

そうしてベトナムチームからオフショアチーム全般、日本国内開発チームなど、一貫して受託開発畑でマネジメントを行いつつ、2021年現在は日本国内とベトナムのオフショア開発を束ねるチームの責任者を務める傍ら、未だに最前線で現場に立ち続けている。

ここまで古岡は多くのプロジェクトに関わり、多くの成功体験をクライアントに提供してきたが、その中で武器となったのは、何度も繰り返しになるが古岡のコミュニケーション力の高さであり、いつも短時間で人の心を掴む能力。これは誰も真似できない古岡の長所である。

そんな古岡はみんなに信頼されているが、古岡もその分相手を信頼している。
プロジェクトにおいて苦労した事も、失敗した事もあったが、結果として少しずつメンバーが成長し、少しずつ受託開発メンバーは強いチームとなっていき、そして今尚メンバーは成長しており、そのメンバーを牽引し、自分もチームも共に成長させられているのが古岡の最大のセールスポイントであると筆者は考える。

ディレクターは誰でもなれるけど、なってからは自分次第

最後にこれまで多くのディレクションに携わり、ディレクターとしての自身の成長に加え、後輩ディレクターのメンバーの育成にも関わってきた古岡に「良いディレクターになるための条件」を聞いてみた。

「ディレクターって、実は誰でもなれるんです(笑)ただ、なってからは自分次第なんですけどね」

これまでに手を替え品を替え、多くのサービスやプロジェクトに携わってきただけに含蓄のある言葉である。その中でも、どのような人間がディレクターに向いているかを問いた所、必要なのは「意図を汲み取れること」「目的を深く理解できること」「広い視野や時間軸で物事を見ることができること」の3点が必要であると古岡は答えた。
その上で、ディレクターに向いていないタイプに関してはこう答えた。

「やっぱり、”協調性のない人”は向いていないかも知れませんね。あとは”目的意識のない人””計画性の無い人”も向いていないです。まぁ、向いている人の条件の裏返しになってしまうんですけど、やっぱりクライアントや社内外のメンバーの意図をはっきり汲み取る事ができる能力、そして”なぜ”このプロジェクトを行うかの目的、そしてその上でスポットではなく全体を見る事ができないとディレクションはできないと思ってます。ですが、この辺の能力は経験したら自然に備わるものでもあるので、現時点でできないからといって自分には能力が無いと心配することはないと思いますよ」

これまで紹介してきた通り、古岡は27歳までディレクションとはほぼ無縁の異業種で働いてきたが、そんな中でコミュニケーションを培い、そしてそこから始めたディレクション業務でWEBを知り、アプリを知り、プロジェクトを知り、今では古岡が対応できないプロジェクトは存在しないとも思えるし、上司から全幅の信頼を得て未だに古岡はプレイングマネージャーとして現場に立ち続ける。

「マネジメントだけに専念できたら、こんなに忙しくなくて済むのでできればそうしたいんですけど…(笑)でも、多分そういう状況でも常に最前線には立っていたいんですよね、やっぱり受託案件は面白いですし」

今回のインタビューを通して“ディレクション”と言う観点で色々と過去を振り返り聞かせてもらったが、やはり古岡がここまで多くのディレクションをこなし、ディレクターを育成してきた最大のセールスポイントは人柄であると考えるが、その人心掌握をする能力もこれまでの飲食店の経営から今に繋がる経験にて培ってきた賜物であると筆者は考える。

過去の経験を全て肯定し、経験を財産に変えて今尚、古岡は成長している。
そんな古岡の姿を見て、何かを始める事に遅すぎる事は何もないと思うし、どんな成功や失敗も財産になり今の自分が形成されるという事を改めて教えてくれる。

最後に古岡に質問したディレクターの醍醐味を紹介させて頂き、その回答を本記事の結びとさせて頂く。

「やっぱり、ディレクターは、デザインができなくても、プログラミングができなくても、ものづくりに関わることができる。これが一番の醍醐味ですよね」

ディレクターは誰でもできるからこそ難しい、だけれども楽しいと古岡は語る。

古岡の一冊

「ついやってしまう」体験のつくりかた

体験デザイン(UI/UX)の作り方を任天堂の企画開発者がわかりやすく説明しています。

この業界にいると、UI/UXを難しく手法や専門用語なども交えて考えていきますが、この本はシンプルに体験デザインとは何かを解説してます。

「わかりやすくシンプル」というUI/UXの大事な要素をまさに体現しているとても参考になる一冊です。


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