純粋な天才・宮崎駿がうまれた瞬間 (「出発点 1979〜1996」宮崎駿著を読んで) #14

いまから15年前、大学生のころ、僕はスタジオジブリの近所に住んでいた。

距離にしてわずか100mだったので、毎日のようにジブリの横を歩いていた。その頃のジブリの知識はごくごく一般的なレベルで、あぁあのトトロの会社がここなんだぐらいの感じで宮崎駿という人物もあまり深く知らなかった。

なんとなく記憶にのこっているエピソードもある。とある静寂の朝、ジブリの横を通ったら斧でマキ割りをしている白髪のおじいさんと目があったことだ。この時代に東京でマキをわってるなんてちょっとヤバイ人に違いないと怖れるあまり全力で目をそらしてしまったが、想えばあれこそが宮崎駿だったのだ。
(そしてヤバイ人には違いなかった笑。)

その後、プログラミングを学び、「ものづくり」へ傾倒していく自分にとって、宮崎駿という偉大なる天才への興味関心は深まるばかりだ。

そんな宮崎ウォッチャーの僕が手に取ったのが「出発点 1979〜1996」だ。宮崎駿の生い立ちやジブリ設立までの経緯、思想などが対談やエッセイなどリアルな資料として良くまとまっていて、まだ若かりしころの宮崎駿の等身大の苦悩や葛藤がありありと伝わってくる貴重な本だ。

宮崎駿はたくさんの矛盾にとらわれてきた。

たとえば幼少時代、実家は戦争のための航空機をつくっていて、戦争が始まった時に歓喜した父を彼は絶望的なまなざしで見つめていた。

それにもかかわらず、宮崎駿もまた兵器が大好きだという矛盾。
子供のために作品を作りながら自分は仕事人間でダメな父親だという矛盾。
自然愛好家で知られつつ自分だけは最後まで車に乗り続けたい矛盾
子供にアニメをあまり見せるべきではないと子供向けアニメを作る矛盾。
何度も引退宣言をしてはまた撤回して走り始めてしまう矛盾。

天才の等身大の矛盾そして苦闘を記録した本書から見えてくるのは、

「純粋で潔癖な理想主義者の苦悩」 と 「純粋におもしろいものをつくりたい欲望」

の激烈な葛藤こそが宮崎駿の奥深い世界観を構成してきたということだ。純粋ゆえに理想は高く、純粋ゆえに欲望にもさからえず、葛藤に苦しみながらも母親ゆずりの「まあそれが人間だし、仕方ないよ」という諦観でなんだかんだとつくり続けてきたのだった。

最後に、本書のなかでいちばん面白かったエピソードを紹介したい。

高校3年生の宮崎駿は、勤勉実直のまじめなタイプだったことへの反発心からか、意外にもシュールで暗い作品をつくっていた。そんな青春時代、彼はとあるアニメ映画に出会い、そしてそのヒロインに恋してしまったのだ。

彼はその作品を見て気づいた。

「ああ、これがつくりたかったんだ。オレは純粋にオモシロイものを作りたいんだ。」

その瞬間、彼は暗黒時代を終わらせ、純粋な作品を追求する今の宮崎駿が始まったのだ。

以下、本書より本人の談を引用する。

なぜ、そういう考えをもつようになったかといえば、私事になりますが、受験の暗ヤミの時期にちょうど劇画雑誌が出ていたことに端を発します。
そういった劇画雑誌には、世の中はうまくいかないものだということばかりを描いていた不遇の劇画家、特に大阪あたりに巣くっていた、巣くってなどと言うと大阪の人たちに申し訳ないですが(笑)、その彼らが恨みつらみを込めて描いているものですから、ハッピーエンドがひとつもないわけです。なるべく皮肉に終わろうとんするんですね。それが、暗ヤミの受験生にとって一種の爽快感になっていたんです。
で、その頃すでに絵を描くことで将来生きていこうと思っていましたから、そういう劇画の恨みツラミみたいなものを書こうとしていました。
(中略)
ちょうどその頃「白虎伝」を見たんです。見て一種のカルチャーショックを受けたんです。劇画に対する疑問がぼくの中に宿ってきたんです。「オレが、いま描いている劇画は、本当に自分がやりたいことなのか、本当はちがうのじゃないか」と思ったんです。もっと具体的に言えば、もっとすなおにいいものはいい、きれいなものはきれい、美しいものは美しい、と表現してもいいのではないかと思ったのです。」

(「出発点 1979〜1996」宮崎駿著 p80-81より引用)

ちょっと前に「ベーシックインカムの時代に黒澤監督と生きる #6」でも書いたけど、技術発展で社会が豊かになるにつれて「いきがい」を失いなんとなくの絶望感がただよう昨今において、

「ただおもしろいものをつくる。それでいいじゃないか人生は。」

という宮崎駿が悟った希望こそが、純粋理想主義で苦悩しがちな現代人を救うのかもしれない。

もやもやしてるんだったら、なにかつくってみたらどうでしょうか。